こんにちは、れんです。
私は過去15年間、肌と恋愛コンプに悩み、約800万円を溶かしてきた人間です。
…クラスカースト最下位だった私が、
とあるきっかけで、恋愛への捉え方が変わり、
2ヶ月間で21回デート
告白前デート3人同時並行
pairs500いいねの美女と交際
これらが実現した、経験をもとに
絶望を希望に変える、ヒントを密かにお届けしています。
そんな私ですが、高校1年生のとき、盗撮されました。
しかも、撮られた写真は、
知らない人たちの間に出回り、笑い者にされていました。
10年以上前の話です。
でも、この事件をきっかけに、
私は「人にどう見られるか」だけを考えて生きる人間になりました。
ちょっと重たい話に聞こえるかもしれません。
ただ、読み終わる頃には、
「人の目」を気にして動けない状態から抜け出すヒントが、
あなたの中に残るはずです。
この記事は、こんな人に読んでほしいです。
- 過去のトラウマが、今も頭から離れない
- コンプレックスが、挑戦の足かせになっている
- 変わりたいのに、最初の一歩が踏み出せない
盗撮の話をする前に、少しだけ、
高校に入るまでの話をさせてください。
偏差値60の学校に入れれば、人生が変わると思っていた

2013年、
ピンク色の桜が満開に咲き乱れる、まだ少し肌寒い4月初旬、
私は晴れて偏差値60の千葉の県立高校に入学しました。
もともとその学校が
「どうしても行きたい夢の場所」だったわけではありません。
ただ、偏差値60以上の学校に入れれば、それだけでよかった。
なぜかというと、中学時代の私は、
肌のことでいじめに近いいじられ方をされていたからです。
直接「顔洗えッ」と不良っぽい同級生に言われることもあったし、
それ以上にきつかったのは、
肌で自信をなくして萎縮している私自身の態度でした。
それを面白く思った男子・女子生徒からは
「お姉キャラ」として扱われていたのです。

「ちょっとお姉キャラやってよ」みたいなことを日常的に言われて、
でも、嫌と抵抗できない自分が、心底嫌いでした。
「バカにしてきた奴らを、いつか見返したい」
当時の正直な動機はそれだけでした。
偏差値が高い学校には、
人のことをバカにしない、ちゃんとした人間が集まるはずだ。
そう、自分自身に思い込ませて、
沸々と煮えたぎる屈辱を、勉強にぶつけました。
もともとのV模擬(県立の模試)の偏差値は45。
当時の合格判定は万年E判定でしたが、
後期日程でギリギリ合格することができました。
いや〜あのときは本当に嬉しかった。
これでイジメられない素敵な人生の幕が開けると、本当に思っていました。
「美男美女が集まる学校」だと、制服採寸の日に知った
合格してから知ったのですが、
その高校は県内でも「美男美女が集まる」と有名な学校だったらしくて。
制服採寸の日。確か、少し肌寒い曇りの日だったのですが、
母親と一緒に商工会議所へ行くと、
中学時代ならカーストトップにいるような女の子がゴロゴロいる。
「あ、自分、場違いかもな」
そんな感覚があったのを覚えています。
それでも、新しい環境への少しの期待感はありました。
中学時代は色々あったけど、ここからまた新しく頑張ろう。
そう思っていたんです。
高校1年生、私は盗撮被害者デビューをしました。
高校入学から1ヶ月後の5月。
1学年9クラス 270人が参加する校外学習がありました。
クラスごとにバスで移動して、県民の森でバーベキューをするイベント。
あなたにも覚えがあると思うのですが、
入学して1か月もすると、いつメンがある程度出来始めますよね。
自分は当時、穂高というやつと特に仲が良かったのです。
身長160センチほどの小柄な野球部で、
あだ名は「クリリン」とでも言われるような、
見た目通り愛嬌のある、可愛がられるタイプの男子でした。
校外学習の当日、朝8時30分、
学校近くの道路に9台のバスが一列をなして路駐していたので、
私ら1年生は急ぎめで学校を出て、バス乗り場まで一斉に移動しました。
もちろん、その穂高といっしょに。
その時まではすごく楽しかったのです。
そう、すごく楽しかった。
正直、バーベキューも楽しみで仕方なかった。
バーベキュー中に、気になるあの子と話せるかもしれない。
同じ班になれたらどうしよう、とウキウキしていました。
バスに乗り始めてから、30分ほど経ったタイミング。
穂高が私のことを呼びかけたのです。
「ねえねえ、ちょっとこれ見てよ」
半笑いで、スマホの画面をおもむろに見せてきました。
そこには、穂高の中学時代のグループLINEが映っていました。
そして、
そのグループLINEの中に、私の顔写真がアップされていたのです。
私に何の許可もなく。
その顔写真は、別に変顔をしているわけでもない、
ただバスの移動中に、運転席側をぼーっとしている自分の他撮り写真。
自分で言うのもなんですが、
その当時の写真は、今でも見たくないほど、
めっちゃブサイクな写真でした。
ニキビも酷かったのですが、
自分の場合、それ以外にも
一重、眼瞼下垂、天然パーマ…
こんな感じで、コンプレックスフルコースだったので、
顔には全く自信がありませんでした。
(彼女に昔の写真見せてと言われたら絶対に拒否するレベルの写真です笑)
だから、人に撮られるのがめっちゃ嫌いだったのですが、
何の許可もなく撮られ、
それが知らないグループLINEに拡散されていたのです。
この恐怖が言葉にできないほどで…
知らない人たちに笑われていた

出典:LINE FRIENDsキャラクター公式ページより
さらなる恐怖が待っていました。
知らないグループLINEの中で、私の顔写真が炎上していたのです。
「あ、この人、れん君って言うんだね笑」
「なんか、ブスだね」
「そんなこと言ってやるなよ(笑)頑張って生きてるんだから」
ついさっきまでバスでウキウキしていた自分を、
ぶん殴ってやりたい気分でした。
バーベキューで気になるあの子と話せるかもしれない淡い期待も、
この際どうでも良くなりました。
そして、どういう神経しているのか不明なのですが、
校外学習が終わった後も、
穂高は私のことを友達かのように普通に話しかけてきたのです。
今思い返しても、あいつはサイコパス野郎です。
ただひとつ確かなのは、
それ以来、私の中に「人が怖い」という感覚が深く刻み込まれたということです。
特に女性と話すのが怖くなりました。
「キモいと思われてるかもしれない」
「すれ違う女性が、私の肌を見ている気がする」
そういう感覚がずっと頭をリピート再生している感じでした。
でも、その悔しさを、誰にも言えませんでした。
母親にも。先生にも。友達にも。
なぜか??
コンプレックスって、恥ずかしいじゃないですか。
「顔のことで心が傷ついた」
「外見が嫌いで毎日しんどい」
そんなことを口に出すのが、どうしてもできなかった。
「人に相談してはいけない」という思い込みが、
自分の中にガッチリとあったんです。
一人で抱え込んだまま、悔しさは内側で静かに、
じわじわと自分の人格を壊していく感覚。
いつ終わるのかも分からないマラソンを、
一人で走り続けているような。
これが一番キツかったです。
600万円と、8年もの時間を治療に使った

大学に入って、バイトを始めて、
最初の給料が入ったその月から、
ほぼ迷わず治療費に使い始めました。
動機は、シンプル。
「このまま屈辱的な人生で終わらせたくない」
それだけです。
悔しいとか、惨めとか、そういう言葉じゃ足りない。
「このままでいることが、耐えられない」
その感覚だけが、私を動かしていたんです。
高校時代はお金がなかったから、何もできませんでした。
大学生になって、お金を稼げるようになった以上、
やらない理由がなかった。
クレーターは、私にとってガンでした。
マジで大げさな表現ではないです。
ガンを治すのに迷う人がいないように、
私もそこにお金を惜しむことはありませんでした。
ただ、現実はそう甘くなかった。
当時は治療体験談もなければ、
今以上に治療プロセスが確立されてもいなかった。
だからこそ、数百万円の無駄なお金を使いまくってしまいました。
患者の目を見ず、適当に10回のレーザー治療を勧めるクリニック。
こんな悪徳クリニックなんてザラでした。
何度期待を裏切られたのかわかりません。
あの日から、「人の目」が私の人生を決めていた

コンプレックスが深い人は、
他人がとっくに忘れているような些細な言動を、
自分だけ、ずっと鮮明に覚えているものだと思います。
あの日あいつに言われた一言。
何気なく笑われたあの瞬間。
私の場合、それが、あのバスの中でした。
朝、鏡の前で少しだけ目を逸らしながら、出かける準備をする。
友達に写真を撮られそうになって、さりげなく避ける。
気になる人の前で、なぜか自信を持って話せない。
全部、あの日の「知らない誰かの目」が決めていました。
自分の人生なのに、決めているのは、いつも他人でした。
でも——今の私は、あの盗撮に感謝しています。
……きれいごとに聞こえますよね。
「そんな簡単に割り切れるかよ」って、
当時の私なら、確実に毒づいています。
実際、消えてないんです。
クレーターも、あの日の記憶も、今も消えていません。
ただ、意味だけが変わった。
あの経験がなければ、
今ここで、あなたに何も届けられなかった。
過去は消せない。でも、意味は書き換えられる。
思い出というより、ネタに昇華できた。そんな感覚です。
自分の人生を、自分で決める

いま私は、
同窓会で穂高に会っても、もう目を逸らさない。
それくらいの自信は、あります。
ヒーローみたいな自信じゃありません。
小さな一歩を積み重ねた先の、等身大の自信です。
あれだけ萎縮していた私が、
女性と話すのが怖かった私が、
いつのまにか、そこまで来ていた。
こう聞くと、
「数百万円かけて顔を治したから、自信がついたんでしょ?」
そう思いますよね。
私も、ずっとそう信じていました。
たしかに、美容医療のおかげで、
肌はある程度きれいになりました。
でも——自信は、つかなかったんです。
鏡を見れば、「まだまだ汚い」と粗探し。
女性への怖さも、消えないまま。
肌が良くなっても、心のリハビリには、
そこから何年もかかりました。
変わったのは、肌の状態じゃなくて、ここです。
「どう見られるか」ではなく、「どう関わるか」。
見られるのを怯えて待つ側から、
自分から関わりにいく側へ。
立ち位置が、変わっただけです。
もしあなたが、いまも、
知らない誰かの目を気にして、
動けなくなっているなら。
あなたの人生、いつから、自分で決めますか。
画面の上を、少しだけ見てください。
このブログのタイトル。
「さよなら、コンプレックス。」
これは「克服しました」という宣言ではありません。
コンプレックスは抱えたまま。
それでも、自分の人生は自分で決める——という決意表明です。
肌治療の具体的な道筋、恋愛コンプレックスを抜け出した経緯。
ここには書けないことも、
こっそり運営しているメルマガに、全部書いています。
よかったら、ぜひ。
最後まで見ていただき、ありがとうございました。
